1992〜2000年の日本誌、とりわけ1995〜96年の文脈でDISSECTIONは、単純な「第二世代ブラックメタル」や「メロディック・デス」の一員ではなく、BATHORY/VENOM/CELTIC FROSTら初期ブラック・メタル〜暗黒HMの系譜を、スウェーデンのメロディックな極端音楽として再構成した存在に位置づけられていた。日本での受け止めは、邪悪さ・荒涼感・悲哀のメロディを併せ持つ、当時の北欧シーンでも特に個性と完成度の高いバンド、というものだった。
PERIOD CONTEXT当時の文脈
1995年1月号の扱いでは、DISSECTIONの出発点は流行化したデス・メタルへの反発に置かれている。本人たちが挙げる源流はBATHORY、VENOM、CELTIC FROST、POSSESSED、SLAYERで、ブラックとデスを後世の分類のように厳密に分けず、「古く、暗く、邪悪なHM」の共通基盤から出発したバンドとして理解されていた。そこへ悲しくメランコリックで荘厳なギター・メロディを組み込み、暴虐性だけでなく情景性を成立させた点が特徴だった。 したがって日本誌上の位置は、ノルウェーの物議を醸したブラック・メタルの社会的・宗教的事件性を中心に語る流れとは少し違う。DISSECTIONは、初期ブラック・メタルの邪悪さを保ちながら、古典的HMの構築感とスウェーデン的な旋律性を前面に出す「音楽的・様式的な発展」の側に置かれた。1996年1月号の北欧シーンの文脈でも、DARK TRANQUILLITY、IN FLAMES、AT THE GATESらと人的交流を持つ極端音楽の土壌に接続される一方、DISSECTION自身をそのままメロデスへ回収する見方には距離があった。 日本での受容は、輸入盤中心の未知の存在から、『THE SOMBERLAIN』の日本発売を契機に、ブラック/デスの境界を更新する有力株として認知される段階だった。評価の軸は過激さの競争だけでなく、凶悪さと悲しみ、荒涼感と旋律を一つの世界観にまとめる表現力にあった。1992〜94年を源流と新しい北欧極端音楽が整理される時期、95〜96年をその中でDISSECTIONが際立つ時期、97〜2000年を後続への参照点として定着していく時期、と見るのが妥当である。ただし後半期の日本誌での連続的な点数推移や毎号の評価まで一律に示す資料状況ではない。
LISTEN NEXT次に聴くなら
EVIDENCE根拠メタ情報
- BURRN! 1995年1月号・結成動機、源流、作品の日本紹介と評価
- BURRN!DISSECTION・ブラック/デスの再構成と北欧シーンでの位置BATHORY, VENOM, CELTIC FROSTの系譜に連なる者たち・BATHORY等からの継承と分岐を整理
- BURRN! 1996年1月号・DARK TRANQUILLITY周辺の交流と相互刺激
CONFIDENCE確度
高
NOTES注意点
1992〜2000年の全号について、DISSECTIONの評価を連続的に比較できるわけではない。特に1997年以降は、作品ごとの細かな採点より、ブラック・メタルとメロディック・デスの境界を考える際の参照点として読む方が安全である。また、日本誌の分類は号や執筆者によって揺れうるため、固定的な単一ジャンル名ではなく、ブラック・メタルを核にした北欧メロディック極端音楽として捉えたい。